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丸毛登の生涯<丸下三郎>


2005/03/10

古いことを書いて・・・・

Tweet ThisSend to Facebook | by:埼玉支部
連載 (1) <2005/3/10> 
                         
  古い事を書いて退屈だと思うが少々お許しを願いたい

  開成の先輩で偉人の一人、明治33年卒の鳥潟右一博士 は東大工学部卒業後若くして逓信省電気試験所長に就任され、明治から大正にかけて、我が国の国運に関わる電気通信技術の発展に貢献された。格式の高い才気溢れる人柄で世界を相手に後世にその名を留める多くの業蹟を残されたが、惜しくも数えて41才の若さで、在任中病のためこの世を去られた。
 
  鳥潟氏の配下で当時有線・無線と呼ばれた通信技術の改良の為に、手足となって働いた七人の技師の一人が私の父、丸毛登である。
  東京物理学校を出て逓信省に勤めるまでの学生アルバイトの五年を含めて官民六つの職場 [内務省、逓信省、NHK、日本ビクター㈱、現エルナー㈱、北辰電機㈱] で、死ぬ迄六十七年間働き、勤めの傍ら早大・理工で2年、桐生高専(現、群大・工)で半年、東京理科大学で18年間「電気通信」を講じた。研究を愛し常に童心を失わず藍綬褒章をも受けて81歳余の生涯を閉じた、と言えば平坦でむしろ幸せな人生であったと思われるであろうが、その一生は不運の連続だった。 
 8歳で母親を、15歳の時に山形県酒田の営林署長として単身赴任中の父親を病で失い、以後義母を中心に一家5人の生計を担うこととなった。元々が豊かでないので群馬県中之条から中二で転入学した開成中学を中三の終りで退学した。一本一銭の鉛筆を買うのにも不自由したと述懐していた。
 
  中三では明治38年卒、歴代中の秀才と云われた民法の末広厳太郎氏(東大教授、中労委々員長)とは同級で父の成績はクラスで六、七番だったようだ。退学の後は内務省で雑用係を勤め夜は東京物理学校に学び明治40年全科(数・理)を卒業した。
  在学中に講師として横須賀から来る海軍技術将校の講義を受け、日露戦争で有名な「敵艦見ゅ」に感動して通信の道を志し、20歳で逓信省電気試験所に入所し、以後20年間勤めた。
 五反田の電気試験所では、旧高専卒で任官すると技手(技師の下の位)になる。技手になった父は有線・無線の電信電話の実験現場を常に担当する立場にあった。
 「敵艦見
!」の直後の時代で、通信の実験は当時、唯一のマスコミである新聞を通じて世間の耳目を集めていたから、幹部の談話も記事になるが、現業の父や同僚の難波氏は写真と共に掲載されることが多かった。..
   
           逓信省管理局 丸毛登技手の洋上無線電話試験を伝える東京朝日新聞(大正2年6月6日)


 氏を中心に、横山、北村氏など技師の人々は、渋谷駅に近い目黒区の駒場町などに住んで居て、親戚のような親しい付き合いをしていた。因みに私の両親が結婚して近所付き合いの仲間入りをしたのは、母の実家とご近所で交際のあった北村政治郎氏のご媒酌によるものだった。北村氏は、のちにNHK開局時のJOAKの技術部長として以後約10年、病没される迄勤められた。

 父が試験所勤めをしていた20年を愚息である私の目から見て、その最も喜びの大きかったのは、

   1.鳥羽-神島間の無線電話の実験成功(鳥羽にT.Y.K記念碑がある)
   2.茨城県平磯出張所長の大正13年8月30日にアメリカ サンフランシスコGE所属KGO局の
     海外向け短波放送を初めて日本で受信したこと

 前者は父が出張を命ぜられ、心血を注いで成功に導いたものである。大学卒でない実務者の名は省かれるのが当時の通例で、致し方ないことであるが、Mが入れて貰えなかった事を父は残念に思っていたふしがある。
  後者は関東地区の3ケ所で競うようにアメリカの海外向け放送を受信しようと準備を整えていたとき、他に先がけて日本で初の受信に成功したのが平磯で高さ60mのアンテナを持つ父のチームだった。逓信省高官が代わる代わる平磯を訪れて、自分の耳で聞いて確かめて居た、とは母の話である。
  因みに無線電信はトン・ツー・トンであり、無線電話はラジオのことで、当時の受信機は鉱石検波器(今のトランジスタ)である。
 やがて大正14年には放送の開始となる。
既に発足していたNHKに昭和3年に移籍し、仙台放送局の開局に当たって建設に携わり初代の東北支部技術部長になった。私は局の社宅で昭和5年に生れた。
  仙台在住4年間の事は幼くして記憶に無いが、その頃父は多忙で東北6県の中継局の開設にも当たっていた。


 
   米国のラジオ放送を日本で初めて受信した電気試験所茨城県平磯局(丸毛登所長)の成功を伝える大正13年9月4日の「電気新報」

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