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東京理科大学の前身である東京物理学校は、明治14年(1881年)6月14日東京物理学講習所(明治16年東京物理学校と改称)として若き理学士19名他2名によって「理学の普及をもって国運発展の基礎とする」との理想のもとに創立されました。
そして、明治22年4月15日に東京物理学校同窓会が設立され、創立25周年(明治39年9月29日)には、同窓有志の寄付金を基にして神楽坂校舎を新築し、ついで大正5年12月25日、専門学校に昇格する際に基金として同窓から多額の寄付が行われました。これが東京理科大学同窓会、すなわち理窓会の原点であり、大学との結びつきが大変深いのです。

第1章1881(明治14年)~1948(昭和23年)東京物理学講習所・東京物理学校時代

東京理科大学の前身である東京物理学校は、明治14年(1881年)6月14日東京物理学講習所(明治16年東京物理学校と改称)として若き理学士19名他2名によって「理学の普及をもって国運発展の基礎とする」との理想のもとに創立されました。

1881明治14年

東京物理学校

21名の青年理学士が東京物理学講習所を九段坂下に創設

明治14年(1881年)6月14日東京物理学講習所(明治16年東京物理学校と改称)として若き理学士19名他2名によって「理学の普及をもって国運発展の基礎とする」との理想のもとに創立されました。

設立広告(明治14年6月「郵便報知新聞」)

1883明治16年

東京物理学校

東京物理学校と改称

1885明治18年

理窓会東京物理学校

16名で維持同盟結成

明治18年、創立者21名のうち、既に死亡した人や事故者を除く16名が東京物理学校を維持するために東京物理学校維持同盟を結成した。維持同盟規則によれば、同盟者は金30円を寄付すべきこと、毎週2回講義すべきこと、事故によって講義のできない者はその都度、所定金額を支払うべきことなどが定められている。

16名で維持同盟結成

1889明治22年

理窓会

同窓会設立、会員22名

1891明治24年

理窓会

東京物理学校同窓会誌創刊 東京物理学校雑誌に改称

東京物理学校雑誌313号 大正13年8月(国立国会図書館所蔵)

1906明治18年

理窓会東京物理学校

〈神楽坂校舎竣工〉総工費の約半分は同窓会の募金

明治37年春、同窓会が会員間に新校舎建設のための寄付を再び呼びかけたところ、279名より16,351円もの醵金が得られ、さらに維持同盟員13名がそれぞれ300円を醵出し、総計20,251円が新校舎新設資金として寄付されることになった。
明治38年11月、維持同盟員達は牛込区神楽坂2丁目24番地に敷地面積394.53坪を購入、同39年9月26日に木造2階建226坪の新校舎が落成した。敷地・校舎・器具・設備など総費用は38,192円であり、小川町校舎の売却益を考えれば、差額はほぼ同窓会による寄付金で賄い得たことになる。

牛込神楽坂に新築された校舎と物理実験室

東京物理学校

夏目漱石「坊つちやん」と東京理科大学

夏目漱石は、当時の創立者たちと親交があり、彼の代表的小説「坊っちゃん」(『ホトトギス』明治39年4月1日号)の主人公を物理学校の卒業生と設定し、主人公が、その父の死後に分けられたわずかの遺産を元手に通った学校の名称として「物理学校」があります。
東京理科大学のイメージキャラクターである「坊っちゃん」はそのような縁から誕生したキャラクターです。

東京理科大学イメージキャラクター「坊っちゃん」

1915大正4年

理窓会東京物理学校

同窓会が(財)東京物理学校を設立し、維持員同盟から引き継ぐ

大正2年、創立者達は高齢に達してきたことを自覚、同窓会に敷地を寄贈し、校舎・備品を譲渡して学校の経営を引き継がせることを決意した。そして27年間にわたって東京物理学校を物心ともに支えてきた維持同盟はここにその役割を終えた。同窓会は協議の結果、法人を設立して学校事業に当たることを議決し、同4年5月26日に文部省の許可を得て財団法人東京物理学校を設立し、5名の理事、2名の監事からなる理事会がその運営に当たることになった。

1917大正6年

理窓会東京物理学校

〈専門学校に昇格〉同窓会が基本金を募る

時代の流れに対応して本校の組織を専門学校に改める必要があると考え、同窓会は、専門学校基本金の寄付を募った。同窓会による寄付をもとに、東京物理学校は大正6年3月26日に各種学校から数学・物理学・化学の教員養成を目的とする専門学校に昇格し、高等師範科の卒業生は中等教員無試験検定を得ることが出来るようになった。

文部省の専門学校認可書

1927昭和2年

理窓会

同窓会誌「会報」を東京物理学校雑誌から分離して創刊

1929昭和4年

理窓会

同窓会のクラブ会館竣工

昭和4年、同窓会が学校創立50周年を記念し3階建て日本家屋の「クラブ会館」を木造校舎の裏に設置した。
3階に広間と座敷2間があり、1階の学生食堂を同窓会が運営し、文房具を販売した。
昭和12年の新校舎建設後に木造校舎とともに撤去された。

1944昭和19年

東京物理学校

東京物理学校雑誌が戦争による紙の配給停止で廃刊

第2章1949(昭和24年)~1988(昭和63年)東京理科大学創立から大学創立100周年

1949昭和24年

理窓会東京物理学校

東京理科大学創立 募金に協力

戦後、米国による占領政策の一環として学制改革が実施された。
東京理科大学は、本多光太郎を初代学長に擁し、理学部第一部3学科、理学部第二部3学科を開設し、昭和24年2月に東京理科大学として設置認可を受けた。しかし内部の整備に手間どり、同年5月4日に入学式を挙行した。

東京理科大学校旗制定式と制定された校旗(昭和26年)

理窓会

「同窓会」を「理窓会」と改称会誌「会報」を「理窓」と改称

1959昭和34年

東京物理学校

野田校地運動場開設

1967昭和42年

東京物理学校

野田キャンパス開設

1981昭和56年

理窓会東京物理学校

大学創立100周年募金に協力 100周年記念野田自然公園を寄贈

昭和56年、本学は創立100周年を迎えた。種々の記念事業が計画されたが、これらはすべて学内の委員会によって推進された。記念事業に先立ち、昭和55年、同窓会は広く募金を募って野田校地に隣接する山林約60,000m2の借地権を取得し、遊歩道、四阿、池を配するなどの造園工事を施して100周年記念公園として学園に寄贈している。

創立百周年記念行事と100周年記念野田自然公園

第3章1989(平成元年)~2022(令和4年)諏訪短期大学設置から大学創立140周年

1990平成2年

山口東京理科大学

東京理科大学諏訪短期大学設置