カナダの 建築設計事務所で活躍
建築家
本間 志のぶさん
創域理工学部
Technical principal revery architecture
本間 志のぶさん

野田の理科大に入ったのは、大学闘争の名残りがまだあった1972年の春だった。
私は西山夘三氏のエッセイに感動して建築科に入ったものの、建築についての知識ゼロ。おかげで道に迷って6年を野田で過ごした。其の間堀川勉先生や伊郷氏、満田氏といった優秀な後輩と知り合い私に大きな刺激を与えてくれた。
東京の団設計に勤め、所長の勧めで英語をカナダから滞日していた彼の姪から教わっていたのがきっかけで親しくなり、彼女が日本を去るのに同行してアジアからヨーロッパを旅して、カナダに着、そのままバンクーバーに居住、彼女と結婚して移住を決意したのは1980年の春だった。
英会話を勉強しながら闇で建築現場で働き、2×4工法を体で学び初めて建築事務所に勤務したのは、移住権を取った直後の1981年の秋、初めてマイラーに線をひいた時の鉛筆の感触は格別で、今でも憶えている。
さて妻のLucyの友人を通してArthur Erickson事務所を辞めて、独立したばかりのBing Thom氏に出会い直ぐに雇われたのは翌年の暮れ、初めは胃が痛むくらいストレスが溜まった。と言うのは、仕事のやり方(Working culture)が全く違いそれに慣れなかったせいだ。
2年後の1984年、不況もあって解雇されその後一年以上、フリーランス、また日本の学歴を認めてもらうため、夜学して2年後の1985年トロントに移る前に、認可を得る。
トロントは産業が発達し大都会で私には馴染みやすかった。アジア人に対する差別、偏見は当然で仕事でも時々経験した。しかしトロントでの7年間で得た経験は、その後の土台となりバンクーバーに戻り再びBing Thom事務所に雇われ、すぐに2件の小規模なプロジェクトを任される。
その竣工と共に私の能力が認められ、以後プロジェクトアーキテクトとしてUBC Chan Centre, SFU Surrey Campus, Aberdeen Centre Mallなど大きな仕事のFacadeを主に担当、2008年に技術デレクターに就任する。

2016年の10月、Bingが香港で脳溢血で他界、彼の遺言書にもとづき私はTechnical Principalに就任、Design Principalのコカロフ氏と40人のブティークオフィスを運営している。ところで事務所の名をかえたのは2017年の暮れだった。レバリーとは、Daydreamingと言う意味で、我々は皆夢を描きそれを実現しようというモットーを示している。しかし、Bing Thomのデザイン理念は継承している。

〈 デザイン理念 By Bing Thom 〉
デザインはプログラムの理解とサイトの状態と条件で決まる内から外へ、そして 外から内へ建築を超える建築を目指せ