さまざまな分野で活躍している
卒業生の今をインタビューしました。
変化の大きい時代を乗り切るための武器を磨く
横浜銀行代表取締役頭取 / コンコルディア・フィナンシャルグループ社長
片岡 達也さん


はじめに
皆さん、はじめまして。1990年に理学部応用数学科を卒業いたしました片岡です。私は決して優秀な学生ではなく、皆さんに誇れることもないのですが、せっかくいただいた機会ですので、就職する際に何を考えたか、入社後に何を重視して取り組んできたか、どのような経験をして今日に至っているかなどをお伝えできればと思います。
就職活動
私が就職活動を行っていた1989年はまさにバブルのピーク。特に専門性がない私でしたが、商品開発に携わりたいという漠然とした思いを抱きながら、とにかくこの機会により多くの方々のお話を聞いて、自分が活躍できる可能性が一番高そうな会社を選ぼうという気持ちでメーカー、商社、金融など30社以上を回りました。その中で横浜銀行の方とご縁をいただいたわけですが、その方の地域社会の成長に対する熱意に共感するとともに、様々な業務にチャレンジできる風土に惹かれ横浜銀行に入社しました。
入社後~商品開発に携わるまで
と言っても、最初から自分の希望が叶うわけではなく、鎌倉市の大船支店で3年間、個人営業、法人営業の基礎を厳しく叩き込まれる日々を過ごしました。当時は今とは異なり、「成果が取れるまで帰ってくるな」という時代で、終電で帰宅する日々を今では懐かしく感じています。その間、多くのお客様や先輩たちに助けられながら業務に取り組む一方で、商品開発分野に進むべく睡眠時間を削って勉強した時期でもありました。その努力の甲斐もあり、その後、商品企画を行う部署に異動となり、以降、16年間は商品や新規業務、営業・経営の企画する部門に従事しました。
バブル崩壊~金融危機
この間、バブル崩壊後の多額の不良債権問題で日本の銀行界は壊滅的なダメージを受け、1998年には横浜銀行も株価が大幅下落し、破綻一歩手前の状況でした。毎朝、新聞を恐る恐る開いていた時期でもありました。その後、経営改善のために大規模なリストラや構造改革を進める一方で、会社の企業価値を上げるために、経営陣から担当者にいたるまで危機感を共有し、会社を潰さないために日々喧々諤々の議論をしていました。当時、私はまだ担当者でした。今思えば、相当生意気なことを経営陣にも言っていたかもしれませんが、そんな若手の意見も聞き入れる度量と風土が当社にあったこと、そして地域の多くのお客様が支援してくれたこともあり、今の当社があると感じています。
人的ネットワークの重要性
その後、16年ぶりに現場に出て、若手やパートの方々に助けられながらも鴨居駅前支店の支店長を務め、国内営業部門で残りの銀行員人生を過ごすのかな、と思っていた時、突然、ロンドンへの転勤を命じられました。入社時の英語の試験では最低ランクで、以降、英語に接する機会がなかった私は真っ青になり、断ることができないか、本気で考えたのですが、当時の頭取から「君に英語は全く期待していない。英国で信頼できる友人を100人作ってこい」と言われ、家族とともに渡英しました。ロンドンでは予想通り英語には大変苦労しましたが、そこで出会った方々とのご縁が、その後の私の人生において、とても良い刺激となりました。帰国後、この方々とのご縁を大切にしつつ、国内においてもネットワーク作りにも注力することにより、思考の幅が広がり、今日のマネジメントに活かすことができています。